Tuesday, September 17, 2013

【思考】インドの宗教

インドにはたくさん宗教があって
それぞれが、形として生活にあるだけではなく
人々の生活の奥深くに根をはやし、生死までも支えています。

単に、へー。宗教がいっぱいあるんだー。
寺院とかイスラムの黒装束とか見てみたいなーっという
ぽんこつな感じでインドに入ってきたら
現実の悲惨さと、その不遇な人たちの言い訳をしている理由にすぎないのではないのか
という念に打ちのめされるかもしれません。
ここは沢山の宗教のルーツの国。
宗教が生活のベースにある、決して自由な国ではないのです。

ヒンズー教はカーストを尊重しそれらに則った生活があります。
僕の暮らしているホステルの面倒を見てくれるラディーシュ君。(何歳かは知らない)
おそらく彼は、インドでは当たり前にある使用人という身分です。
朝は6時から、夜は寝静まるまで一人で働き続けています。
ちなみに彼は英語はしゃべれません。

いつも笑顔で、文句一つ言わない。
何を言っているのかわかりませんが、すごい剣幕と大声で
先生の奥さんから怒鳴り散らされていても
全く嫌な顔一つしません。

彼は、ヒンズー教である限り死ぬまでこれをやり続けるのです。
これが彼のダルマ(法)なのです。

この間、皆が寝静まった頃彼が一人食堂のテレビでボリウッドの映画を
楽しそうに眺めていました。
पनि दीजिए(pls water)
अाप बोलिउददो पासंद है?
そう聞くと、彼はすごくうれしそうに
हां हां
と笑顔で答えました。

ちょっと彼と会話をしたかったので
自分でまとめたヒンディーの会話集(訳は英語で書いている)を持ってきて
一緒に見ていると、近づいてきて
一生懸命英語を勉強し始めました。

ठीक है = I'm fine.
कोई कमर = some room
पास में कोई होठल है? = Is there any hotels in near?

といった旅行者向けの内容を一生懸命発音して
使える様になろうと努力して、しかも楽しそうに。。

ヒンディー語にはकर(かる)という言葉があって
昨日という意味と明日という二つの意味をもっています。
どちらの意味かは文脈で判断するのですが
もしかしたらインド人にはそもそも昨日というすぎた概念はなく
後ろを顧みない修行者のような人たちだったのではと思ってしまいます。

インド人達は聞いてきました。
日本にはカーストはないっていうけど、じゃあdiscriminationはないのか?
日本にはきっぱりとした、目に見えない中で差別はあるし
そして自殺してしまったり、自意識過剰になったりしたりする人が多いのも事実。
宗教観念の強さを改めて感じました。

僕らは宗教はなんなんだろう。
どうして宗教という世界を見る目をなくしても生きて行けるんだろう。
お金や家を失っても笑顔で生きて行けるのか。
たまたま運がいいだけで、たいした事もしていないのに
こんな生活をしてもいいのか。。
ネオヒルズ族とか見てると、泣けてきます。。誰にそんな事教わったのか??!!

なんかラディーシュの事を思い
涙がぽろぽろでてきそうになります。。

फिर मिलेंगे