Sunday, October 20, 2013

【旅行】北インドの旅 その8

アムリットサル2日目は、まず電車の席の予約をしに
駅に向かいます。

明るい感じで始められるよう
今回の旅のお供(音も)はレコ


地球の歩き方に書いてるゴールデンテンプル近くのオフィスも
探してみましたが、どこにあるのか全く分かりませんでした。
ほかの旅行者のブログにありましたが
この鉄道予約オフィスは初アムリ者には見つけられないとのこと。

サイクルリクシャーにのって駅へ(30RS)
初めて見たアムリットサル駅は思ったよりも殺風景で
ただだだっ広くそこにインド人達がひしめき合っているっていう
インドの駅って雰囲気でした。

インドの臭いがぷんぷん。。
こりゃチケット手に入れるまで骨が折れるなー。
案の定、3時間かかることに。。

まずは、チケットを買うための記入シートに必要事項を入力。
僕の目的地はチャンディーガルなのでリストからAMX-CHD-EXPを探して記入。

さすがはお役所天国インド。
住所から、電話番号、年齢、性別、宗教とことん書く所があります。
デリーの外人用のオフィスではこうではないかもしれません。
とはいえ、何とか記入を終えて死の列に並ぶ事に。

インドは列への割り込み、押し出しは日常茶飯事で
それを阻止するために、全員オシクラマンジュウみたいにピターっと引っ付きます。
その感覚に慣れていない、いつも誰かに守ってもらっている
ひ弱な日本人は僕です。

でも、ここで競り負けては3時間が5時間になってしまうということで
頑張って足でガードしたり、ケツで人の流れをブレーキしたりしながら
3時間後ようやくカウンターへ。。

外人の番ということで、インド人達はなめてるのか知らんが
コレでもかってくらいに記入シートを割り込んで
受付の人に渡そうとします。
NO/ACの2ndシート110RS。。安い。
そういやパタンコートからアムリットまでのバスも90RSだった。
ローカルの感覚をつかむために、現地の価格で移動するのも勉強になります。

なんとかチケットをゲットしたときには昼の3時になっていました。
ずっとトイレも我慢してたし、腹も減ったので
ゲストハウスにかえりました。
でも、何だろうこの達成感。

アムリットに来て一番びっくりしたのは飯だと書きましたが
昼ご飯にはパンジャービーといえばターリーでしょってことで
ターリーを頼む事に。


ライス、パパド、ローティ
ライタ(ヨーグルト)、シャヒパニール、ダルのターリー
これまた気が狂うくらいうまい。パパドは塩辛い。

そんな事をしていたら4時pm。
完全に国境セレモニーをミスってしまいました。
とはいえ、やるべき事をやっていたのでしかたがありません。

なので次はジャリワンワーラーバーグという
その昔、イギリス植民地時代にインド人が虐殺された舞台となった公園に行きます。





イギリスは当時、政治的にインド人同士の集会を禁止していましたが
大勢のインド人が集いキャンペーンを行っていたので
イギリス人のアムリットサルの担当の長官が
ネパール人兵士を利用して虐殺したという。
(詳しくはwikiの"アムリットサル事件"を見てね)

中には多くのインド人が芝生に寝転んだり
きゃっきゃいってはしゃいでいる子供達。
ぱっと見はどこにでもあるのどかな公園と変わりません。

でも広島の平和の炎のような、ガス火のモニュメントや
イギリス人がインド人を撃ち殺したときに後ろの壁に出来たバレットマーク
平和を懇願する大きな塔のモニュメント。





こういう虐殺がおこった後
大暴動がおこって、さらに治安が悪化する所が
ガンディジーの登場で非暴力・被服従を唱え、1947年8月15日独立。

ボリウッドや普段のインド人の行動を見ていると
彼らは皆で何かをするのがすごく好きみたい。
少し前まで、僕らが普通にやっている
ちょっと集って音楽聞いて踊るのも禁止だったんだよなー。

この後は、マーケットに行って
スィク教の音楽を少しとおみやげを少し買いました。
スィクの音楽はパキスタンに近い事もあり
中東から伝来した楽器タブラでゆっくりとしたリズムを刻むのが特徴。
そうタブラはインドのオリジナルの楽器ではないのです。

俺のクラスメイトにスィクの奴がいて
そいつまだアムリトサルに来た事なくて
いつもアムリトサルの話すると来たいっていうんだよね。
的な事を店の人に言うと、いつもはクールなスィクの戦士も少し笑み。

スィクはインドを色々と歴史的に救っているという事もあって
とても誇り高い宗教なのです。

9.11の事件の後、アメリカはとっととがれきを片付けました。
本当に自分たちに非が無く、決して繰り返してはいけないんだ!!!
という強いメッセージがあれば、あのビルのデブリは
よく考えて残すべきだったんだと思う。

後始末はローカースト(低賃金とか便利な言葉作ってますが要は差別)
の人たちがやらされたらしく、石綿を吸い込みガンになった人も多いと言います。
そんなに経済止めたくなければ、スーツ着た証券屋や銀行屋がやればよかったんだ。
とか思う。

グランドゼロって9.11で初めて生まれた言葉ではないのは知ってるでしょ。
アレはアトミックボムの爆破予定中心地。
要は原爆記念館や長崎の平和記念公園、湾岸戦争の劣化ウラン弾の飛んでった所。
本来はそっちの意味。
グラウンドゼロは世界中にいっぱいあるんですよ。
時の大統領に非暴力を唱えるほどの頭脳があれば、と思います。

僕は平和主義者の卵なので、平和を乱すものに徹底的に反抗します。
平和主義者って要はフリーダムファイターの事なんですね。
巨大な自由のしわ寄せが
世界中の色々な所に波及してるのをこの大国は考えた方が良いですね。

念のため書いておきますが、アメリカ人が嫌いな訳ではなく
メリケンガバメントが気に食わないだけです。
夜露死苦、愛羅舞優!!

夜再び、ゴールデンテンプルに
夜のこの場所、すごく好きです。



ただスィク教の絶え間なく流れている音楽を聞きながら
アムリタ・サラス(不死の池)の中央に威厳を持って佇む黄金寺院を見つめながら
ただひたすらに目を開いているだけ。

黄金寺院の中へ入るための列



異宗教の中に無宗教の僕がいる違和感は強く感じますが
大きな存在に包まれている様に妙に落ち着くんです。
寺院に見守られながら心行くまで、アムリットサルの最後の夜を堪能しました。

明日は4時起きです。。


つづく